インタビュートップ > Vol.12 アウディ ジャパン株式会社 代表取締役社長 大喜多 寛

アウディ ジャパン株式会社 代表取締役社長 大喜多 寛

1960年代後半、フォルクスワーゲン同様にアウディも、ヤナセにより日本への輸入販売が始まる。1989年に両ブランドの正規輸入元として「フォルクスワーゲン アウディ 日本」(現フォルクスワーゲン グループ ジャパン)を設立。その後1998年にアウディ部門が独立、独AUDI AGが100%出資する「アウディ ジャパン」として現在に至る。2014 年の新車登録台数は31,413台と、日本市場では初の3万台超えを達成。ドイツプレミアムブランドの一角として年々存在感を増すアウディのこれからについて大喜多社長に話を伺う。

アウディ ジャパン株式会社 代表取締役社長
大喜多 寛
1960年生まれ。広島県出身。関西学院大学卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社。企画本部、国内営業、販売会社社長などを経て、2002年にBMWジャパンへ。MINIブランドダイレクターを務める。2006年アウディジャパンに営業担当取締役として移籍。2010年9月より現職に。
インタビュアー:カーグラフィック代表取締役社長 加藤 哲也

アウディ ジャパン シニアアドバイザー(前代表取締役社長) 大喜多 寛様は2016年4月25日、享年56歳にて永眠されました。
ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んで通知申し上げます。

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※このインタビューは2015年6月18日に実施されました。

大切なのは企業のDNAや、開発者の思いを伝えること。

加藤 大喜多さんはこれまでずっと自動車業界一筋でいらして、キャリアの最初はマツダからでしたよね。最初は何を担当されていたのでしょうか?

大喜多 まずは国内営業を十数年やって、経営企画に異動したのが、ちょうどフォード傘下のときで、上司がいきなり外国人になったり(笑)。5年ほど経営企画にいて、営業をやりたかったので戻して欲しいと頼んで国内営業に戻りました。

加藤 ずっと東京にいらしたんですか?

大喜多 いえ、実は入社した頃からずっと社長がやりたかったんです。マツダの社長になるのはさすがに難しいですけど、販売会社の社長ならチャンスがあると思っていました。たしか30代後半で、念願かなって仙台の販売会社の社長になれた。

加藤 随分と若い社長ですよね。

大喜多 18年で一度も黒字になったことがない40億も借金がある会社で、社長就任の挨拶に恰幅のいい50代の総務と一緒に7行くらい銀行めぐりをしたら、みなそちらに向かって挨拶するわけです。彼も困って、いや社長はこちらですって(笑)。

加藤 30代じゃそれは社長には見えないですよね(笑)。しかし、それはまた茨の道を選ばれましたね。

大喜多 とにかく販売会社ならどこでもいいから出してくれって。当時は、マツダも大変でどこに行っても火中の栗を拾うようなものでしたから(笑)。でもその年の10月に仙台に行って、約半年で黒字転換しました。

加藤 それはすごい。一体何をされたのですか?

大喜多 ごくごく当たり前のことです。売り掛けを圧縮して、新車を売って、中古車の下取り率を高めて、サービスの質を高めてって地道にやった。あとはそれまで平等主義だった評価軸を成果主義に変えました。ボーナスとインセンティブの体系を変えて、6月のボーナスのときには、ある営業マンの奥さんから会社に電話がかかってきて「ボーナスが振り込まれたけど、なんだか金額を間違えてませんか?」って(笑)。

加藤 すごく増えたということですか?

大喜多 多い人は2.5倍くらいになりましたね。一方で半分になる人だっているわけですが、働いた分評価されるので、やっぱりやる気がぜんぜん違ってくるわけです。どうすればみんなの給料が上げられるのか、きちんと休日が取れるようになるのか、そうしたことを1つ1つ課題として考えていった。

加藤 それまでのディーラーの抜本的な改革に着手したというわけですね。

大喜多 そうです。あとはワンプライスを掲げました。実は売れない営業マンほど値引きしたがるわけです。もちろん車種によっては多少しますが、でもある一定の線を超えたら絶対に決裁のサインをしないようにした。最初はベテランの営業マンがどうせ脅しだろうと高をくくって、決裁書を回してくる。でも、サインしない。月末に目標台数にいかなかったら、また出してくる、それでもサインしない。

加藤 なるほど。断固たる姿勢で社長の本気度を伝えると。

大喜多 そういうことをやっていくと、やはりきちんと修練されて売れるようになるものです。それから、営業マンに言い続けたのは、技術者は毎日一生懸命、研究開発している。私の同期にもドアの開発をやっているエンジニアがいて、毎日本当にドアのことを考えているわけです。クルマってそういう人たちの努力の積み重ねでできているものなのに、営業現場が簡単に値引きするなんてありえないでしょう。

ある新車の導入の際には、技術者を広島から仙台に呼んで、どんな思いでこのクルマを作ったのか、2時間くらいかけて営業マンに話してもらいました。そうすると、営業も、目が覚めるというか、心を動かされる。お客さんに説明する言葉だって違ってくる。それがお客さんにも伝わって、購入を決めてくださる。クルマのセールスってそういうものだと思うんです。

加藤 なるほど。そういうノウハウが次のミニでも生かされたのでしょうか。

大喜多 まさにそうです。マツダではとにかく一度社長をやりたい、という1つの目標が達成できて、そんなときに日本で新しいミニを展開する話があって、ブランディングからディーラーネットワーク開発まで、BMWミニとしての組織全体を全部イチからやれるチャンスで、ものすごくチャレンジングでした。

加藤 例えばどんな試みをされたのですか?

大喜多 マツダで得たノウハウをもとに、受注主義をきちんと浸透させて、在庫を売るのではなく生産枠をしっかりと埋めていくという意識付けをしました。それからミニは女性比率を高めたいという意向がありましたから、営業担当のうち女性の割合を3割くらいにして、あとは女性が多いこともありましたから訪問販売はしないように、店頭で決めていただけるような仕組みづくりをしていました。

加藤 ミニというのは本来歴史あるブランドで、それをBMWとして販売していく上でその付加価値をどのように社内で浸透させていったのですか?

大喜多 それは例えば営業研修でもセールスのスキルの話ではなく、アレック・イシゴニスが生み出した初代のミニの時代背景や、それをBMWミニのエンジニアたちがどう受け止めて、どんな思いで作ったのか、そんな話をきちんとするわけです。プレミアムブランドはヒストリーをとても大事にするし、パッションをもっている。でもそういうものって往々にして消えるんです。だから、それを消さない努力を一生懸命やっている。

加藤 それは特に日本に足りないものですよね。日本は壊しては、新しいものを作ることを繰り返してきた。

大喜多 そうですね。ただし、輸入車ですから本国との距離があるわけで、だからこそ例えばビデオを使ったり、できるだけ本国の開発者などに日本向けに話してもらう機会を設けました。

加藤 土着的なイメージのある広島から、ミニというブランドへ移っての違和感はなかったのでしょうか?

大喜多 逆にミニを経験したことで、いかにマーケティングやブランディングが重要であるかということを知るわけです。クルマを売るという方法論についてはひと通り経験してわかっているつもりでした。あとは会社の哲学やDNA、開発者の思いとか、そういうものを伝えることが大切であって、お客さまはそこに共感して買ってくださる。

加藤 そのやり方はアウディでも同じということなのでしょうか?

大喜多 基本は同じです。実は私がアウディに移ったのも、もともとラリーが好きなこともありましたし、クワトロという4WDの技術があってそれなりにラインナップあるのに、なぜ日本ではこれくらいの台数しか売れていないのか、もったいないという思いがありました。

せっかくあのピエヒ博士が開発したクワトロという技術があるのに、その思いがぜんぜん伝えられていない。4つのタイヤで走ることが、いかに安全で快適で効率的であるかをもっと打ち出していかないと、他の4WDとぜんぜん差別化できていなかったわけです。

加藤 たしかにドイツのメーカーって、情熱もあるし、あとロジックがすごい。フォルクスワーゲングループはいまだに3気筒のモジュラーエンジンから、6リッターW12まで、きちんと揃えていますしね。

大喜多 あとBMWもそうでしたし、アウディもそうなんですけど、彼らは本当にクルマが好きなんですね。数年前、TTに5気筒エンジンを積む際にも、どこに隠してあったのかっていうエンジンを突然もってきて、なぜ5気筒でなければいけないのかって話をとうとうとするわけです。いいと思ったものは、本当にとことんやる。本社のCEOのシュタートラーももともと財務担当ですが、本当にクルマが大好きな人です。

加藤 近年のアウディ躍進の要因もそういった点にあるとお考えですか?

大喜多 そうですね。やはり、人間もそうだと思いますが、好きなものには妥協しないんですね。年に1度、プロダクトプレゼンテーションといって、限られた人間に将来のモデルを先行して見せてくれるのですが、1年前に見たものとちょっと雰囲気が違うものがあって訳を聞いたら、前回の評判が良くなかったから全長を50mm伸ばしたっていうわけです。それ実は来年登場するモデルなんですけど、まだ手を加えているわけです。

加藤 以前、あるドイツ車メーカーのデザイナーに、あるモデルで全長を30mm伸ばそうとして大騒ぎになったエピソードを聞いたことがあります。いまのクルマのデザインって基本的にはあらかじめパッケージができていて、デザイナーが変更を許される範囲はすごく限られているそうで、アウディが市販を目前に全長を50mm伸ばしたなんて話を聞いたらきっとびっくりすると思います。

大喜多 例えばテールライトのデザインとか、本当にぎりぎりのタイミングまで手を加えていますね。

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