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JAPAN LOTUS DAY 2012

2012年12月25日


~今回の目玉は、過去最大規模のヒストリック・ロータスF1 スペシャルラン~

エルシーアイ株式会社/ジャパン・ロータスデー実行委員会は2012年11月3日(土/文化の日)、富士スピードウェイ(静岡県駿東郡小山町)でJAPAN LOTUS DAY 2012(ジャパン・ロータスデー)を開催しました。

JAPAN LOTUS DAYは、英国ロータス車の正規インポーターであるエルシーアイ株式会社と、ロータスの正規ディーラーネットワークで構成されるジャパン・ロータスデー実行委員会が主催する全国規模でのロータスのファンミーティングです。

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3回目となる今回のJAPAN LOTUS DAY 2012では、過去最大規模のヒストリック・ロータスF1 スペシャルランが実施されました。

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今回のイベントレポートは、このヒストリック・ロータスF1に絞ってご紹介したいと思います。

■ロータス49(1967年)

ロータスの創始者であるコーリン・チャップマンとモーリス・フィリップの共作デザインによるロータス49は、名機Ford Cosworth DFV(Double Four Valves)エンジンを最初に搭載したモデルで、1960年代後半のロータス黄金期を担ったF1マシンです。
初年度である1967年には、出走した9戦すべてにおいてポールポジションを獲得し、初戦のオランダ・グランプリでデビューウィンを飾り、年間4勝をあげます。
49シリーズは、その最終形は49Cまで発展し、ジム・クラーク、グラハム・ヒル、ヨッヘン・リントといった伝説の名ドライバー達の手により、1970年までに通算12勝をあげました。
この時代の「葉巻型F1」の完成形であり、また1968年からは、スポンサーである「ゴールド・リーフ・カラー」に塗装されたことから、この初期型49は、F1のカラーリング移行期にあって、最後のナショナル・レーシング・カラーであるブリティッシュ・グリーンを纏ったモデルとして記憶に残ります。

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■ロータス72C(1970年)

前述の49の後継として開発された72シリーズは、これまでとはそのフォルムを一新したウェッジ・シェイプとなり、F1マシンが空力を意識し始める時代へ移り変わったことを示し、またインボード・ブレーキやサイド・ラジエターの採用に代表される、革新的なレイアウトを特徴としています。
サスペンションはトーション・バー形式を採り、当初搭載されていたフロントのアンチ・ダイブ、リアのアンチ・スクワット機能を取り外すことにより簡素化し、マシンのバランスを進化させたのがこの72Cでした。
1970年シーズンに4勝をあげますが、その年のワールド・チャンピオンとなったヨッヘン・リントは、イタリア・グランプリ予選中のクラッシュにより事故死してしまいます。

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■ロータス72E(1973年)

1975年まで使用され、最終形は72Fとなった72シリーズの後期モデルがこの72Eで、1973年のレギュレーション変更より、それまでの金属ボディから、アルミのモノコックにFRP製カウルを被せる構造に変更されたボディ構成となり、安全性の強化がはかられました。
この年にロータスのドライバーとなったロニー・ピーターソンが4勝、エマーソン・フィッティパルディが3勝をあげ、コンストラクターズ・チャンピオンを獲得しました。

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■ロータス78(1977年)

往年のJPSカラーが懐かしいこのマシンは、ウイング状のサイドポンツーンを外観上の特徴としています。もともと航空技術に深い造詣を持っていたと言われるコーリン・チャップマンが、イギリス空軍のモスキート戦闘機の、排気熱をウイングの下方に放出することにより揚力を得ている点に着目して、この技術を応用し、その反対のダウンフォース効果を狙って開発した、いわゆるグランドエフェクトカーの先駆けとなったF1で、1977年から1978年にかけてF1チャンピオンシップを戦った、F1に革命的な空力学を持ち込んだマシンです。
今回展示されたモデルは、1977年シーズンをグンナー・ニルソンがドライブしたもので、オールドファンの脳裏には、富士スピードウェイを疾走する、このレースにだけ使用されたワインレッドのインペリアルカラーと、翌年29歳の若さで癌のため早世したニルソンの雄姿が甦ったことでしょう。

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■ロータス79B(1978年)

前年の78で新時代の空力学をF1に持ち込んだロータスが、その改良型として開発したモデルがこの79シリーズです。78で走行したグランドエフェクト理論をさらに進化させ、各部を洗練したことにより空力性能はさらに向上し、増加したダウンフォース効果によりリアウイングは小型化されました。
完成の域に達したボディデザインは、スポンサーのJPSカラーと相まって「ブラック・ビューティ」と呼ばれ、「F1史上、最も美しいマシンとの評価を得ています。
なお、今回展示された79Bは、改良型として1979年シーズンを戦ったマシンで、この時期メインスポンサーのJPSが一時撤退したため、代わってスポンサーとなったマルティニ・カラーとなり、同社のオーナーであるロッシ氏がジム・クラークのファンであったことから、ブリティッシュ・グリーンに塗られたと言われる貴重なモデルです。

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■ロータス88B(1981年)

ロータス88シリーズは、1981年シーズンのために開発されたマシンで、その特徴は、グラウンドエフェクトを得るための、サイドポンツーンを含むアッパーカウル(プライマリー・シャーシ)を、ドライバーの乗るモノコック(セカンダリー・シャーシ)から分離し、スプリングを介してフローティング・マウントしていることで、コーリン・チャップマン最後の意欲作と言われています。
しかしながら、第1戦のロングビーチGPでレギュレーション違反に問われ、その改良版である88BをイギリスGPへ持ち込むものの結果は同じで、結局一度もレースへの出走を許されなかった悲運のマシンです。
この88シリーズは、その技術的革新性から、「レースに出場できなかった史上最も重要なマシン」と評価されています。

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■ロータス97T(1985年)

97Tは、79シリーズの成功以降、不運な88シリーズ、さらには1982年のコーリン・チャップマンの急逝もあり、長く低迷していたロータスが復活のきっかけをつかんだモデルです。
1985年、新たにドライバーとして加わったアイルトン・セナが、加入2戦目となるポルトガル・グランプリで、ポールポジション、ファステスト・ラップ、そして優勝と、「雨のポルトガル」を完全に制し、この年2勝をあげる活躍をみせ、エリオ・デ・アンジェリスによる1勝を加え、チームはコンストラクターズ3位となります。

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■ロータス101(1989年)

ロータス101は、1987年からキャメルカラーを纏ったロータスが1989年シーズンに向けて開発したマシンで、前年までのホンダ・エンジンに替わり、ジャッド・エンジンを搭載していましたが、シーズンを通じてそのパワー不足に悩まされ続けました。
日本人として初めてF1チャンピオンシップにフル参戦し、ロータスにはその初年である1987年より在籍した中嶋悟氏が、最後にドライブしたロータスF1で、最終戦となったオーストラリア・グランプリでは、豪雨のアデレード市街地コースで、このマシンとして唯一のファステスト・ラップを記録しました。

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当日は、あいにくの曇り空でありましたが、多くのお客様が会場の富士スピードウェイに集まり、パドックをロータスが埋め尽くしました。
オーナー向けの各種サーキット走行や同乗走行、トークショーなどのステージイベントも行われ、ロータスファンにとっては最高の一日になったことと思います。
また、来年以降の開催が期待されます。

○ロータスについてはこちらから
LCI Limitedオフィシャルサイト

○JAPAN LOTUS DAY 2011(EURUレポート)についてはこちらから
http://euru.info/attractive/lotus1111/

○JAPAN LOTUS DAY 2009(EURUレポート)についてはこちらから
http://euru.info/attractive/lotus0911/

JAPAN LOTUS DAY 2012 フォトギャラリー

本記事の取材は、2012年11月に行いました。


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